自分の過去に容易にアクセスできるってどんな気分なんだろう

きっと今までの長い歴史の中でそんな現象にあった人っていうのはごく少数なんじゃないかな。自分の過去、というか過去を記録したモノにわりと容易にアクセスできるっていう。

例えば僕なんか小さい頃の記憶なんてほとんどなくて、本当に印象に残ってるいくつか以外はとても曖昧で、たぶんその残ってる記憶というのもテレビなんかで見た昔の映像なんかとごっちゃになって捏造された記憶なんだろうなあって思う。確認のしようが無いんだ。

だけど最近の子供は、写真も動画もとてもカンタンにしかもほぼ制限を感じずにホイホイと残すことができる。昔だってビデオカメラがあったよ?たしかにそうだ、けどあのテープというメディアのアクセスの悪さったらないよね。どのテープに何が入ってるか、巻き戻して早送りして入れ替えて。しかもカビたりしてたらもうアウト。

ところがデジタルデータだと残した映像にとても簡単にアクセスできるんですよ。操作も簡単。子供が自分で小さい頃の自分を再生して見てるんですよ。こうやって定期的に過去を振り返り記憶を劣化させない、そうやって自分の今までをフレッシュなまま脳に蓄積できてるっていう状況が想像できない。脳内はどんなになってるんだろう。忘れることによって空き容量ができてそこに新たな知識を詰め込むんだとしたら、過去の記憶を丁寧にしっかり保存してしまうと脳の記憶域が空き容量不足になったりしないのだろうか。ログのローテとログのクリーニングみたいなバッチを動かしてやらないといかんのだろうか。それとも空き容量を気にするようなことはないのだろうか。結局大人になったら都合良くキレイサッパリ忘れてしまうのだろうか。

どうなるんだろう。